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勝手にノベライズ

敬愛するまふまふ氏の楽曲を勝手にノベライズさせていただいた作品置き場です。

第3話「義体の紳士」


 井上の入って行ったエントランスを入ると、既に彼女の姿は無かった。
 郵便受けの名字で、
(…807号室か……)
部屋番号を確認し、
(それぞれの階に1~7号室だから角部屋だな……。外から見えるかな……? )
 正直少し面白がってしまっていた部分もあり井上を刺激してしまったと反省して、距離を置いて窓の外から、拾った社内報の続きでも読みながら見ていようと、上着のポケットに無理に突っ込んであったのを取り出しつつ外へ。
 出てすぐ、
「こんにちは」
 キチッとした身なりをした30代前半くらいの長身の紳士が声を掛けてきた。
(あ、この人……)
 社内報を落とした人であると、すぐに気づく。
「拾ってくれたんだね、ありがとう。僕の宝物なんだよ」
 差し出された手のひらに条件反射的に社内報を渡しながら、マフマフ、
(…やっぱり、肉体あるように見えるよな……)
 ネギの先端の覗くマイバッグを提げた、このマンションの住人と思われる中年女性が、紳士だけをジロジロ訝しげに見、2人の横を通過してエントランスを入って行く。
(…俺のことは見えなくて、この人だけが見えてる……? やっぱ、肉体がある……? )
 中年女性に気を取られ、指先が紳士の手に触れた。
「あ、ごめんなさ……」
 これまた条件反射的に謝ろうとして、あれ……?
(無意識で触れた……。でも、俺のことが見えてない物界の人から見えてる……)
 どういうこと……? と、ちょっとだけ考え、
(義体か……! この人、義体なんだ……っ! )
 実物を見るのは初めて。
(…すごい……! 本物の肉体と区別つかない……! 
 髪の毛は生え際からちゃんとしてるし、眼球の濡れ具合とか細かく再現されてる……! 今うっかり触っちゃったけど、肌の質感も。気のせいか体温まで感じたんだけど……! )
 思わず全身を舐めまわすように見てしまっているマフマフに、紳士は苦笑。
「ボクに興味がある? その上着と獣耳、キミは死神魂卍の子だね? 拾ってくれたお礼に、時間があるなら少し話そうか」
 そして自分の家へと誘う。ここでは、他の人からはボクが独り言を言っている不審者に見えてしまうからね、と。
(…19時のお迎えギリギリまで、あの子を見てようと思ったんだけど……。だって3ポイントほぼ確定だから……。
 ああ、でも1日にそう何度もしようとしないかな……? )
 そんなことを考えていて、紳士の申し出への反応が鈍くなったマフマフ。
 紳士は、
「怪しいオジサンではないから怖がらないで」
 優しく優しく言って、マフマフから受け取っったばかりの社内報を広げ、未読の写真付きの記事を指さして見せる。
「ボクは杉田一彦(すぎた かずひこ)。ほら、この記事の写真に載ってる、コード7566・通称セフィロス。キミの先輩だよ。もう退職してるけどね」
(…いや、怪しんでたわけじゃ……)



 紳士・杉田一彦宅は、井上宅のマンションと同じ通りにあった。何ら変わったところの無い、2階建ての一軒家。
「ただいま」
 言いながら玄関の引き戸を開けた杉田。玄関内は薄暗い。
 パチンとスイッチを押す音。暖色の明かりが点る。
「お帰りなさい」
 20代半ばくらいの、全身を薄っすらと黒い煙状のもので覆われた上品な雰囲気を持つ女性が出迎えた。
(…中間域……? )
 杉田はもう一度、女性へ向けて、ただいま。
「お客様を連れて来たよ」
 言ってから、マフマフを振り返り、
「どうぞ、入って」
 お邪魔します、と入ると、湿気を帯びた少し冷んやりした空気。下駄箱の上には日本人形と、木製の台座に置かれた紫水晶原石が飾られていた。
(…なんか、懐かしい雰囲気だな……。ザ・おばあちゃんち、って言うか……)
「紹介するよ。ボクの妻の亜希子(あきこ)さん」
 それを受け、マフマフと杉田の妻・亜希子は、互いに、こんにちはーを交わす。
(…奥さん、か……)
 続けて杉田、亜希子に向け、
「ボクの宝物の新聞あるでしょ? あれを落としてしまってね、彼が拾ってくれたんだ。名前は……」
そこまででマフマフを見、
「ごめん、まだ聞いてなかったね」
 答えに詰まるマフマフ。
 答えられない。そういう規則。
 それは杉田の在籍当時から変わらないようで、
「そうか。答えられないよね?
 現役の間は悪意を持った中間域に本名を知られると危険な場合があるから」
 そこで、あ、と言葉を途切れさせる杉田。
「そのような規則があるというだけのことで、亜希子さんのことではないよ」
 それを聞いてマフマフも、そうか、と、
(…「中間域」って一括りじゃなくて、悪意を持った中間域だけを指す名詞があればいいのにな……。自分のことを言ってるわけじゃないって分かってても、きっと、気持ちのいいもんじゃないから……)
「大丈夫です。分かっていますよ」
 亜希子は心の底からのものと思える柔らかく自然な穏やかな笑みで返した。
 ホッとして、マフマフは口を開く。
「…あの……。通称名なら……。マフマフです」
 途端に気不味そうにマフマフから視線を逸らす杉田夫妻。
(……? 何か俺、悪いこと言ったかな‥‥‥? )
 ややして杉田、
「聞いてはいけないことを聞いてしまったね。すまなかった」
(‥‥‥? 聞いてはいけないこと、って‥‥‥? )
「中間域に本名を知られることを防ぐために、現役の間はコード番号に無理に当てはめた変な通称で呼ばれるのだよね。
 ‥‥‥分かるよ。ボクも自分の通称名があまり好きではなかったから‥‥‥。マフマフなどと、そのような名前の人、いないからね‥‥‥」
腫れ物に触るような態度で慰めにかかった。
(…別に、気にしてなかったんだけどな‥‥‥。それに、マフマフはともかく、セフィロスはカッコイイと思うんだけど‥‥‥)

「キミは、義体に興味があるの? 」
 やはりおばあちゃんちな雰囲気のリビングへとマフマフを通し、亜希子が淹れてくれたばかりの茶を手振りで勧めつつ、杉田。
 マフマフは、ありがとうございます、と、ひと口いただいてから頷き、
「物界の人で会って話をしたい人がいて、心体では彼には僕が見えないし、仮に何かの加減で見えたとしても、彼は現在の外見年齢の僕を知らないので僕だと分からないだろうから、義体を手に入れて、彼と知り合って以降の外見年齢にカスタマイズして会いに行きたいんです。
 死神魂卍に入社したのは、魂getポイントの景品に義体があることを知って、そのほうが近道かなって思ったからで、正直そのためだけなんです。義体は高額すぎるので‥‥‥」
(‥‥‥って、杉田さんの頃にもあったかな? 魂getポイント。説明必要かな‥‥‥? )
 そう思い、聞いてみると、
「ああ、あったよ。魂getポイント。ボクもそれで義体を手に入れた」
(そうなんだ‥‥‥! )
 過去に1人だけ、ポイントで義体を手に入れた人がいると聞いていたが、この人がそうだったのか、と、杉田に対して更に興味をかきたてられ、この人になら相談に乗ってもらえるかもしれない、と遠慮がちに続ける。
「…あの、実はとても急いでいて‥‥‥。彼、もう105歳なので、いつ肉体の死を迎えても、おかしくないので‥‥‥。心界へ来られてしまってから捜し出すのは困難だし、運良く時間帯が合ってくれでもしなければ、うちの会社に回ってくるリストに載るようなタイプでもないので‥‥‥」
「魂getポイントは近道と言うか、会いに行くのに義体でと考えるのであれば、キミにとっては多分一択だよ。
 あくまでもボクの頃の話なら、だけど。当該ポイントを現金換算した金額では買えなかったからね。
 死神魂卍の社長と義体を作ってる会社の社長が友達で、特別に安く譲ってもらえたのだそうだよ。実際に欲しがる人などいないだろうと両社長とも高を括っていたのだろうな。義体など本来金持ちが道楽で使う物でしかないから、死神魂卍で働くような人たちには無関係と、景品に箔をつける飾りのようなつもりで‥‥‥。
 ボクが10万ポイントを貯めて義体を下さいと言った時は、露骨に嫌な顔をされたよ」
 杉田は苦笑。
「でも、すぐに態度を改めて、大々的に贈呈式まで執り行ってくれた。さっきキミに見せた社内報の記事は、その時のものだよ。皆のヤル気を煽るお役に立てられたのかな?
 今でもボクの頃と変わらず10万ポイント、1億円分相当の景品なの? ご友人のほうの会社への負担が大きいだろうから実現する者が現れてなお景品として義体が並んでいることを知って驚いているのだけど‥‥‥」
「あ、はい。変わらないです」
 頷くマフマフに、杉田は更に質問を重ねる。
「今のところ何ポイント貯まっているの? 貯め始めてからの期間は? 」
「貯め始めて約半年で804ポイントです」
 杉田は、ん-‥‥‥と難しい顔。
「普通に考えたらスゴイ数字ではあるけど、そのペースだと10万ポイント貯まるまで60年くらいかかるよね? 」
「はい。僕は瞬間移動が出来ないので、出来るようになったらだいぶ違うかな、とは思うんですけど」
「瞬間移動か‥‥‥。あれは完全に適性の問題だからね。
 適性のある人は、やろうと思っただけで出来るし、無い人は、訓練次第で習得出来ないわけではないけど、なかなかに難しい」
(…イロハさんは、きっと適性のある人なんだろうな‥‥‥。だって、教えるの下手すぎる‥‥‥)
 先輩に質問して「ポーンッ! て感じです」と返されたと話すと、杉田、ちょっと笑う。
「出来てしまえば、その『ポーンッ! 』は納得なんだけど‥‥‥。
 ボクから助言するとしたら、誰かキミが全幅の信頼を寄せる、他の人を連れて移動出来るタイプの瞬間移動を出来る人に手伝ってもらうこと、かな。
 実はボクも習得に苦労したクチでね。今にして思うと、多分、恐怖心なんかが邪魔をしていたのかな、って‥‥‥。
 キミは、瞬間移動を体験したことはある? 」
「はい、1度だけ。肉体の死を迎えた時に、駅まで。
 当時は瞬間移動って認識はしてなかったですが‥‥‥」
 そうだよね、と続ける杉田。
「先ずは何回か、手伝ってくれる人にキミを連れて瞬間移動をしてもらって瞬間移動というものに慣れて、それから、戻って来れなくなった場合に迎えに来てもらえる約束をした上で挑戦してみるといいかもしれないよ」
(…確かに、怖がってるっていうのはあるかも‥‥‥。だとしたら、杉田さんの言う方法はとてもいいと思う。…でも、難しいな‥‥‥。全幅の信頼を寄せてる人、なんて‥‥‥)
「あとは、業務のやり方だよね。
 お迎えは1人ずつしか出来ないけど、ボクの場合、心界への移動は可能な限り複数人を同時に連れて行くようにしてた。2人目以降を前の人を連れた状態でお迎えする形で。
 特に連れて行こうにも行けない交通手段の無い夜間の分とかさ、1人では時間がもったいないでしょ? 」
(そうか! 1回に1人ずつしか連れてっちゃダメなんて規則は無いし! 
 …だけど‥‥‥)
 気になって、マフマフは口に出す。
「危なくなかったんですか? 社内報に書いてありましたけど、杉田さんの頃の心界物界間の移動方法って、渡し舟ですよね? 」
 自分だったら1人を連れて行くのも心配、と。
「いや、基本は電車だよ。
 当時はとにかく自死をする人が多かったために電車移動だけでは追いつかなくて、危険が伴うという理由で廃止された、かつての交通手段である渡し舟による三途の渡河が、『特殊案内員と自死者のみ乗船可。但し特殊案内員については有事に於いて自身の安全を最優先すること』を条件に限定的に許可されたんだ。
 ボクは単身移動時には舟を使うこともあったけど、1人でも連れていたら余分に待つことになったとしても電車で移動するようにしていた。急がば回れというやつだよ。安全を重視したほうが結局のところ効率が良いからね」
 杉田の答えに納得して頷きつつ、マフマフ、
(…来月分のお迎えの予定を組むのに、夜間の分を、先ずは2人ずつとか組んでみようかな‥‥‥)


                *


 19時にお迎えをした心体を心界へと送り届け、3件の最終宣告と翌0時20分のお迎えのため終電に飛び乗って再び物界へ来たマフマフは、最終宣告をする人たちが眠るであろう時間までまだあるため、昼間に出会った自死志願者・井上の様子を確認するべく、井上宅のあるマンションへ。エントランス前に立ち、上層階を仰ぐ。
(807号室、だったよね‥‥‥? )
 外壁に沿って窓の数を数えながら上昇。
 8まで数えたところで止まり、1~7号室のうちの7号室なので、とりあえず近いほうの角部屋の窓を覗こうとするが、やはり夜なのでカーテンが閉まっており、しかも、もう9時間も前に予想していた、ひと雨が、今頃になってやって来ていて、当然マフマフ自身には何の影響も無いが、そのためにカーテンの僅かな隙間まで水滴で埋められてしまっているため、やむなく室内へ。
 すると、ソファで丸くなっていた、この家のペットと思われる猫が、ピクンと起き上がりガン見してきた。他所でもよくある現象。
(俺が物界で、まだ肉体を持って元気に暮らしてた頃に飼ってた猫たちも、時々、何も無い壁をジーッと見てることがあったけど、きっと、こういうことだったんだろうな‥‥‥。何も無いわけじゃなくて、誰かいたんだ‥‥‥。
 うん、そう言えば、その頃にも何となくそんな気はしてて、そういうの怖いから頼むからやめてくれって思ってたっけ‥‥‥)
 落ちついた雰囲気の部屋。女子高生である井上の部屋には思えなかったことと、猫以外誰もいなかったので、隣の部屋へと移動するマフマフ。
 その部屋に、井上はいた。集中した様子で学習机に向かっている。
(…よかった、まだ生きてた‥‥‥。
 まあ、仮に逃したとしても惜しくないような話を聞けはしたけど‥‥‥)

 杉田とは、お迎えの時間間際まで話をしていた。
 瞬間移動の練習の仕方。効率的な業務のこなし方のひとつとして複数人を同時に心界へ連れて行くこと。
 他にも、同じく業務の効率化の話で、最終宣告を複数同時に行う方法も教えてもらえた。‥‥‥これは、初めてでは逆に余計に時間がかかるかも知れないため、次に今日ほどでなくとも長い空き時間のある時に、早速試そうと考えている。
 そういったポイントを早く貯める術の話をする一方で、どれだけ業務の効率化を図っても、加えて瞬間移動を習得出来たとしても、友人が肉体の死を迎えるまでに10万ポイントを貯めるのは非常に困難であることが容易に想像つくと、目的は話をすることなのだから義体にこだわらずに何か別の方法、例えば夢の中での会話であれば、これまで最終宣告の際にやってきたことと同じことをするだけなので、すぐにでも出来るが、それではダメなのか? ポイントを貯めることは続けつつ、少し考えてみたほうがよいのでは。とのアドバイスも受けた。
 それから特に何の役に立つ話でもないが、昔の社内報で使用されていた、現在では使われていない語「人間界」と「魂」について。結論から言えば、昔も現在も変わらず物界は「物界」であり心体も「心体」。「人間界」というのは、良くないことだが、後々心界へ行く者も迷い中間域となってしまう者も罪を犯し俗に言う地獄行きとなる者も混在している肉体を持つ者を自分たち心界に暮らす者より下の者であると軽んじて「人間」という蔑称で呼ぶ風潮が当時はあり、その者たちの暮らす世界という意味で生まれた語。「魂」は心体の言い換え。現在では「心体」を使用することが多いが「魂」のほうが古くから存在する語であり、当時の社内報の記者は好んで「魂」のほうを採用していた‥‥‥ということらしい。ちなみに、社内報で使われている心体の意の「魂」は魂getポイントの「魂」ではなく、魂getポイントの「魂」は社名にくっついている「魂」と同じ意。「気構え、とでも言おうか、『職人魂』とか『芸人魂』の『魂』と一緒と言えば分かり易いかな? 」と杉田は説明していた。
 あとは、「1人週当たり平均10個」のスゴさについて。「フィギュアスケートのジャンプなんかが良い例だけど、昔スゴイと言われていたものが、選手の方々の努力や、同じ努力をするのでもお手本があればやり易いだろうし、他にも、もしかしたら関係する様々なものの進歩とか、幾つもの要因で、どんどん当たり前になっていくよね? それと同じだよ」。 

 と、前傾気味だった井上が小さく息を吐きながら身を起こし、手にしていたシャープペンを置く。 
 代わりに机の隅のペン立てから太目のカッターナイフを取り、キリキリと刃を出した。
 数秒、ただそれを見つめる井上。
(…え、もしかして、今‥‥‥? )
 期待するマフマフだったが、井上は徐に立ち上がると、マフマフのほうを向きざま、
(っ! )
 刃側を先にして勢いよくマフマフへと投げつけてきた。
 ダンッ!
 マフマフの体を通過し、その真後ろの壁へと見事に突き刺さるカッターナイフ。
(あっぶな‥‥‥くはないけど‥‥‥。…ビックリしたぁ‥‥‥)