「…さん……。……さん……」
薄暗い病室のベッドの上、少女の声に老人は目を覚ました。
視界が顔のみで埋まってしまうほどの至近距離から、12・3歳くらいと思われる獣耳の少女が覗く。
老人は驚いて飛び起き、
(…飛び…起き、れた……? )
自身が体を起こせたことに、また驚いた。もう永らく寝たきりだった老人だ。
少女はグレーの外はねショートヘアの毛先を弾ませながら老人と距離をとり、悪戯っぽく笑う。
「これは夢です」
しかし、すぐに真顔になり、
「でも半分は現実です。
私は大切なお知らせをするため君の夢の中へ入って来た現実の存在で、いわゆる死神です。
落ち着いて聞いて下さい」
(死神……? こんな曾孫みたいな歳の女の子が……? もっと怖い感じの存在だと思ってた……。まあ、年長者をつかまえて「君」なんて、かなり生意気ではあるけど……。
…違うか。逆か。若すぎるから、子供だから、そうなるのか……。
それで、その「死神」の「大切なお知らせ」って……? )
子供が生意気に真面目に伝えようとする姿を、微笑ましく見守る老人。
重々しく切り出す死神少女。
「明日が君の最後の夕食です」
(死ぬってこと? 死神だもんね。やっぱり、それかぁ……)
「君が、多分『この世』かそれに近い呼び方をしているこの世界に強い未練を持っているためと、極端に死というものを恐れているため、そうした場合の決まり事として、事前に『最終宣告』をしに来ました」
(…そう言えば、死ぬ夢って久し振りに見たかも……)
死ぬ夢というのは夢占い的に古い自分から新たな自分へと生まれ変わることを暗示する良い夢であると、以前、誰かが言っていた。
(100歳過ぎて、しかも寝たきりなのに、そんな意味の夢。さすが俺だなぁー! )
良い意味の夢であっても、やはり気持ちの良いものではないので、老人は心の中、わざとらしく大声(?)で紛らす。
・
・
・
「ありがとね」
19時半、胃ろうの処置をしてくれた看護師に礼を言う老人。
このところ思わしくなかった体調は、昨日今日と何故かすこぶる良い。
笑顔のおやすみなさいを受け取って、その背中がドアを出て行くのを見送りながら、老人はふと、
(今のが、あの死神の言ってた「最後の夕食」か……)
昨晩の夢を思い出す。
そこへ、コンコンコン。ドアがノックされ、
「はい、どう……」
ちゃんとは返事を待たずに開かれたドアから車椅子で入って来たのは、半年振りに会う80年来の友人。
(車椅子……)
半年振りに会えた嬉しさよりも、車椅子に受けたショックのほうが大きかった。
(半年前は、自分の足で歩きまわってたのに……)
古くからの知り合いというのは、どうしても、いつまでも変わらないと思い込んでしまっているところがあるもの。普通に考えれば、3つ年上の彼が半年前まで元気に歩きまわれていたことのほうが超人的と驚くべきことのはずなのに。寝たきりの自分も棚に上げて。
察したらしく友人、入口から老人のベッドの脇へと移動して来つつ、
「町内の運動会で転んじゃってさ」
車椅子になった経緯と、
「それ以来、遠出は家族に手伝ってもらわないと出来なくなっちゃって。だから、お前のとこにも、ずっと来れなかったんだ」
現状を、特に何の感情も込めずに話す。
昔から変わらない飄々っぷりに、
「運動会っ? 」
老人はホッとしてツッコんだ。
「何をやってるんですか? この歳になって! ずっとインドア派だったのに、今更、運動会っ? ご家族や町内会の方々も、よく出させましたね! 」
心の中では、ただひたすら純粋に、すごいなー……しか無い。この彼に対しては、さすがにいつでもではないが、80年を総じてそうだった。
「ちゃんと70歳以上の枠だよ」
「70歳なんて、30以上も年下ですからねっ? 」
老人は大袈裟に溜息を吐いてみせる。
「僕には、まだあなたのことが、よく分からない……」
友人は笑って流し、
「まあ、どこまでいってもミステリアスってことで」
「ミステリアス……。良く言えば、ね」
「それよりさ」
言いながら、友人は入口のほうへ移動。その横の電気のスイッチへと手を伸ばし、消した。
(っ? )
いきなりの友人の行動に驚く老人。
友人は、今度は窓辺へ移動。勢いよくカーテンを開ける。
「これを見せたくって」
窓の向こうには、満天の星。
(…すごい……! いつかのライブ会場で2人で見たのにそっくりな……)
「…すごい景色だ……! 」
感嘆する老人に、
「サイコ―、でしょ」
友人は得意げ満足げ。
「もしかしたら、あの時の星々が、本物のお星様になって照らしてくれてるのかもね。年数の経過的に……」
(…いや……)
詩のような趣を持たせて上手いこと言ったつもりなのか? 老人は反応に困る。
(それはさすがに……。他の誰も聞いていないとは言え、反応しづらい……)
暫し無言で星空を眺める2人。
ややして、
「あのさ」
友人が口を開く。
そこへ、室内のスピーカーから面会時間終了を知らせる構内放送が流れた。
友人は、
「あー……」
スピーカーを仰ぎ、
「いいや次で……」
・
・
・
「お迎えにあがりました」
面会時間の終了を受けて帰った友人と、ほぼ入れ替わり、閉まった状態のドアを通り抜けて、死神少女が入って来た。
(昨日の夢の続き……? )
「抗わないで下さいね」
少女は、自身の身長ほどの長さのある細めの柄の先端に大きめ独特な形状をした刃を柄込まれた赤色の鎌を振り被る。
(っ! )
恐怖のため以前に思うよう動けない体を、必死で動かしベッドから落ちる形で脱出。床を這い逃げる老人。
少女は体の向きを老人の正面へ変え、鎌を振り被りなおした。
ギュッと目を閉じ老人は身を固くする。
様々な思いが脳裏を駆け巡った。
様々? 否、端的には、ただひとつ。
(死にたくない! )
寝たきりになって、時間だけはたっぷりあって……。元来の好奇心旺盛な性格。やりたいことが、時を経る毎に溜まっていった。
幸い明日も安全に生きることが出来る環境。未知に溢れた世の中を堪能したい。
(…100年も生きておいて、って笑われるかも知れないし、贅沢だって怒られるかも知れないけど……。
…足りない……! 短すぎるよ……!
あと、単純に怖い……っ! …それに……)
急に静まる脳内。浮かぶ友人の顔。
(…何を、言おうとしてたのかな……)
プツッ……。
細い糸が切れるような音? 感触?
恐る恐る、老人は目を開けた。
視線を少し上へ向けると、ベッドの上、静かに目を閉じ横たわる自分。その自分との間の床に少女の鎌の刃の先端が刺さり、そこを中点に、糸が、自分と、ベッドの上のもう1人の自分を張りつめ繋いでいる。
「はい、完了」
少女が鎌を床から抜くと、2分された糸がフワッと各々の側へ舞い、消えた。
(…斬られるのかと思った……)
拍子抜けし脱力する老人。
「さあ、行きましょう」
ベッドのほうでなく意識の在り処のほうの老人に掛けた少女の言葉に、
(…どこに……? )
老人は無言の問い。
「俗に言う『あの世』です。
隙をついて逃げようなんて思わずに、ちゃんと一緒に来て下さいね。私から逃げきっても生き返れるワケではないし、ろくなことにならないので」
・
・
・
・
・
・
「マフマフ! マフマフ! 起きて下さいっ! 」
麗らかな物界(ぶっかい)の昼下がり、空中にあぐらを掻いてフワフワ浮遊し居眠りをしていた、心界(しんかい)役場住民課より特殊案内員業務を委託されている民間企業「死神魂卍(しにがみだましい)」に勤める、獣耳少年のなりをした特殊案内員・コード0202、通称マフマフは、距離はあるが尋常でない少女の叫び声に目を覚まし、
(…しまった……。ちょっと休憩のつもりが寝ちゃってた……)
当然ながら作り物である、相手の恐怖心や警戒心を和らげる目的で会社が着用を定めている獣耳の、ズレを直す。
物界とは、肉体を持つ者の暮らす世界。心界とは、肉体の死を迎え、その中身である心体(しんたい)のみの存在となった者の暮らす世界だ。
(懐かしい夢だったな……)
夢、と言っても、今から2年くらい前、肉体を持って物界で生活していた最後の日の、現実の出来事。
(「死神」を名乗ってイロハさんが来て……。夢だと思い込んでいたら、本当に死んで……。肉体の死だけど……)
夢の中の死神少女・コード0168、通称イロハ。マフマフの現在の職場の大先輩で、元・指導係。
死神魂卍への入社と同時に貸与されるコード番号は、もともとは0001から始まる通し番号だったのだが、主に転生を理由とする退職で欠番が多く出始めたため、新しい番号も増やしつつ、使われなくなった番号を新人へ与えるようになったので、入社時期が約50年も違うマフマフとイロハが34しか違わなかったり、イロハより少し入社が遅いだけの、やはりマフマフから見れば大先輩であるイロハの妹分、現在は事務方に徹しているが現場に出ていた頃の功績により退職後には永久欠番になると噂される在職中でありながらのレジェンド・通称名テトのコードが1010と大きめの数字であったりする。
「マフマフ! 後ろっ! 」
ほとんど悲鳴でしかない、再びの少女の声。
ハッとするマフマフ。
声の主はイロハ。50メートルほど離れた正面で、自身を阻む全身に薄っすらと黒い煙状のものを纏った人物を鎌を振るって払い、宙をマフマフのほうへ駆けて来るところだった。
(中間域っ? )
中間域(ちゅうかんいき)とは、肉体の死を迎えてなお物界に残り続けている心体の総称。
イロハを追って来る中間域。
(イロハさんっ! )
急いで立ち上がり、イロハのもとへと向かおうとしたマフマフだったが、背後からただならぬ気配。
頭だけで振り返って見れば、
(っ! )
形の定まらない巨大な黒雲のようなモヤモヤが迫り、無数の手を伸ばしている。
中間域が何体も集合、合体した姿だ。
マフマフは全身で振り向きざま、イロハの物と同じ赤い鎌で薙ぎ払った。
雲散霧消。麗らかな空が戻る。
(…なんか、最近多くない……? )
「マフマフ! 」
イロハのほうも自分を追って来ていた中間域を完全に退散させ、マフマフのもとへ。
「よかった、無事で……」
ホッと息を漏らした。
中間域を払って駆けて来る凛々しい姿から一転、柔らかく力の抜けた女の子らしいイロハに、マフマフはドキッ。
しかし、
(いや、騙されるな。ロリババアだ。実年齢は分からないけど、16歳未満は仕事に就けないはずだから、若くても16+50年で66歳以上のはず)
すぐに、イロハに気づかれない程度に小さく息を吸って吐いて、気持ちを落ち着かせる。
(…まあ、俺もショタジジイなんだけど……)
そう、マフマフは未だ、夢で見ていた老人だった人生の続きを生きている。
かつて肉体を持って物界で暮らしていた人生の続き。
マフマフだけでなくイロハを始め心界で暮らす全ての者も、そして中間域もそうだ。
現在の人生が本当に終わるのは、いつか、現在の記憶を持たずに新しい肉体と共に物界へ転生した時。但し、転生には心界で一定期間を過ごすことが必須条件となっているため、中間域については転生はせず、何らかのアクシデント等で消滅でもしない限り、人生に終わりが無い。
外見が若いのは、心体とはそういうものであるから。肉体の問題は肉体の問題でしかないため、肉体の死を迎え肉体から離れた瞬間に、もはやそれが本来の姿とも言える、その者が最も機敏に動けた時代の姿に、心体が形成される。また、障害等も肉体の問題であるため先天・後天問わず健常者のそれと同程度のものとなるのだ。
「物界で居眠りなんてしたら危ないですよ。
中間域には私たち『死神さん』を恨んでいる人も少なくないですからね。……完全に逆恨みですけど。でも、それが現実なので、自分たちに非が無くても気をつけなければダメなんです」
イロハの説教を、マフマフは軽く流し気味、
(…逆恨み……。ほんと、そうなんだよね……)
因みに「死神さん」というのは死神魂卍社員のうち特殊案内員の、一般からの呼称。ダ○キンで働く人をダ○キンさんとか佐○急便のドライバーさんを佐○さんとか呼ぶのと同じだ。
(肉体の死後のことなんて肉体のあるうちや失った直後に知ってるワケ無いから、中間域になってしまってから知って、俺たち死神さんの仕事なんかも知って、それで逆恨みする。どうして助けて……ちゃんと心界へ連れて行ってくれなかったんだ、って)
死神さんの仕事は大きく分けて3つ。心界役場所属の案内員のリストに記載のある中で彼らの手に余ると予想される心体を迎えに行くことと、心界物界間の交通手段の無くなる20時以降から翌6時までのお迎え、リストには載らない自死の瞬間を足で探して押さえ心体を保護し心界へ連れて行くこと。
(助けれるもんなら、もちろん助けたいけど……。だって、その分ポイントつくし……。
…でもさ……)
3つ目に関しては発見出来た者しか助けることが出来ず、1つ目は心界へ向かう途中で物界への強い未練や死への恐怖から逃げ出す者が少なからずいる。2つ目のケースも1つ目と条件が被れば同じこと。そして、交通手段の無くなる時間帯では移動に時間がかかることから中間域の妨害を受けやすく、その時間帯になってしまえば1つ目・3つ目の難易度が更に上がる。
(そもそも難しいから正規の案内員じゃなくて俺たちの仕事なんだよ。
少しでも難易度を下げるためのきまりで、1つ目と、1つ目と条件の被る2つ目のケースは必ず事前に最終宣告をするし、いざ連れて行く段階になってから注意喚起もするけど、最終宣告は多分、皆、夢だと思うんだよね……。俺もそうだったから分かる。
ほんと無意味。やめればいいのに最終宣告。時間がもったいない……)
マフマフは溜息。
「マフマフ、疲れてるんじゃないですか? 」
イロハが心配げに顔を覗く。
「マフマフが義体を欲しくてポイントを貯めてるのは知ってますけど、10万ポイントはなかなか大変だと思いますよ?
もっと、ゆっくりやったらいいと思います。キャリア50年の私でも、頑張っても年間累計400ポイントくらいですから、50年でも2万までいってるかどうか……」
そこまでで一旦言葉を切り、自嘲的に笑いながら、
「今の手持ちは、先週カップ麺100個と引き換えたばかりなので、5ポイントしか無いですけどね。……私は、ある程度貯まる毎に、ちょこちょこ引き換えてしまうので」
その様子にマフマフ、
(…こういう笑い方するってことは、前に俺の言ったこと、少しは分かってくれたのかな……? )
イロハはポイントを食料品・日用品と引き換えることで生活をしている。リョーピンというラジオパーソナリティを推しており、給料はそちらに全振りしているためだ。
(俺には、申し訳ないけど、ちょっとそういう気持ちって分からないけど……。
とりあえず、入社数ヵ月の後輩にご飯を食べさせてもらうなんてことにならない程度に止めておいたほうがいいとは思うから、さすがにその時は、「リョーピンさんだって、そんなの望んでないと思いますよ」って後輩なのに生意気って思われそうだけど厳しめに言わせてもらって……。
その後、イベントに参戦したお土産のせんべいをくれたから、これはどっちかな? って思ってたんだよね……)
マフマフやイロハの勤め先・死神魂卍では、給料とは別に、心体を1人連れ帰る毎に「魂getポイント」がもらえ、10ポイント単位で景品と交換可能。
主な景品としては、
・10ポイント………「ゆめはなび」(選べる食料品・日用品1万円相当分カタログギフト)
・30ポイント………「朧月」(老舗料亭)御食事券
・50ポイント………「Super Nuko World」(人気テーマパーク)1泊付フリーパスペアチケット
・100ポイント ……「呼方温泉(心界最古の名湯)暗い微睡亭おこもり旅」2泊5食付ペア宿泊券
・500ポイント ……クロニクル社「ウォーターカラーギャラクシー55インチ」(高画質テレビ)
・1000ポイント……豪華客船「アステリズム号」で行く心界横断52日間の旅
・5000ポイント……セカイシック社「Boys and Girls」(高級腕時計)
・1万ポイント……ハンドレッドゴースト社「nocturnal」(高級スポーツカー)
・5万ポイント……栞工務店の手掛けるフルオーダー戸建住宅※全込5000万円以内
・10万ポイント……JIGSAW社「パズル」(高性能カスタムメイド義体)
心体によって獲得ポイントは違い、最大3ポイント。若い心体ほどポイントは高く、30歳未満であれば、それだけで2ポイントは確実だ。
「今のところ何ポイント貯まってるんですか? 」
ある程度貯まってくると下1桁くらいは分からなくなってきてしまいそうなものだが、イロハの問いに、
「今日の午前中の分までで798ポイントです」
即答出来てしまうマフマフ。それほど必死に貯めている。
「798っ? まだ半年なのにっ? 」
見てて忙しくしてるとは思ってましたけど、そこまでっ? 何をどうしたら、そんなペースで出来るんですかっ? 」
と、イロハ、会社から支給された時計の機能も持つ手首装着型通信端末が目に留まった様子で、「あっ」となる。
「リョーピンさんのラジオ始まっちゃうので、私、帰りますねっ! 」
心界と物界を繋ぐ電車の駅方向へと向かうイロハの背中を見送ってから、マフマフも時間を見、
(俺も、そろそろ次の現場で待機しておくか)
予め近くまで移動しておいたので、現場はすぐそこ。
向かいながら、今日の残りの予定を頭の中で確認する。
(今からのお迎えと、その後、最終宣告を2件。最後、23時50分に、もう1件お迎え。
宣告2件と最後のお迎えが、少し場所が離れてるから、時間に気をつけないと……)